びっくり!怪獣が降ってきた


データ

脚本は石堂淑朗。
監督は山本正孝。

ストーリー

夏休みを自然に囲まれた信州で過ごそうと旅行に来た、光太郎、さおり、健一の3人。
光太郎たちは気のいい旅館の主人と談笑する。
そこへ女将のおすぎが現れた。
しかしおすぎは一切言葉を発せず黙ってこちらを見つめている。
主人の話によると、おすぎは2ヶ月前に5歳になったばかりの1人息子を亡くしてしまい、そのショックで記憶喪失になったという。
おすぎは子供を見ると何かを思い出すらしく、子供をジッと見つめることが多いという。
その夜、村は花火大会で縁日は出店で溢れていた。
お面を被ってさおりを驚かす光太郎。
3人は空に打ち上がる花火を満喫していた。
その頃宇宙では彗星怪獣フライングライドロン親子が旅をしているところであった。
そしてその子供が地球の空に打ちあがる花火を夜に咲く珍しい花と勘違いし、それを摘もうとするように近づいてしまった。
花火に焼かれて地上に落下する怪獣。
すると突然天気が荒れだし、村は嵐に巻き込まれる。
それはフライングライドロンの母親が、地上に落ちた子供が乾いてしまうのを避けるため降らせた雨であった。
さらに子供を探す光と声は稲光と雷鳴になって村を襲う。
雷鳴が怪獣の声だと直感した光太郎は調査に行こうとする。
「怪獣だったら今夜のうちに倒してしまいますから」と光太郎。
するとおすぎが光太郎を止める。
「いけませんよ。あんなに悲しげに泣いている子供いじめようなんて。母親だってあんなに困って泣いているじゃありませんか」とおすぎ。
とにかくZATに連絡する光太郎。
翌朝、現場に到着する隊員たち。
コンドルで偵察に向かう光太郎。
「いけませんよ、そんなことをしちゃあ。母親の身になって御覧なさい。どんなにか辛いでしょうに」とおすぎ。
「何を言うんだおすぎ。この方たちは怪獣を退治して我々を守ってくださる、ZATの方たちじゃないか」と主人。
「だって、子供には何の罪もないわ」。
「奥さん大丈夫ですよ。たとえ相手が怪獣でも何も悪いことをしなければ、ZATはいじめやしません」と光太郎。
怪獣の子供を発見するZAT。
しかし2匹いるはずのもう1匹の姿が見当たらない。
「暴れだしたらあいつ1匹だけで持て余すぜ。先制攻撃を掛けてやっつけちまったほうがいいかもしれんな」と北島。
しかしあくまで偵察だと荒垣。
「あそこにいる奴は小さい方の怪獣です」と南原。
「あれが小さい方なら、大きい方はどんなに凄い奴なんだろ」と上野。
「その大きい奴が見当たらん。こりゃあ油断ならんぞ」と荒垣。
子供怪獣は泣きつかれて眠っていた。
フライングライドロンには地球の大気や引力は重すぎて、一度地上に降りたら飛び立つことは出来ない。
上空から見守るしかない母怪獣。
怯えて暴れだす子供怪獣。
しかしその声が母怪獣を呼んだ。
再び嵐になる村。
避難する村人たち。
健一たちも主人たちと一緒に避難するが、おすぎは上の空で健一たちの言うことを聞こうとしない。
怪獣が暴れて山や田んぼが崩壊する村。
さらにダムも決壊の危機に見舞われる。
攻撃を躊躇う荒垣を説得する隊員たち。
荒垣は決断し、ZATは攻撃を開始する。
しかし母怪獣の攻撃を受け脱出を余儀なくされるZAT。
子供怪獣の攻撃を受け墜落するコンドル。
光太郎は北島を先に脱出させ、自らは怪獣の体の上に飛び降りた。
しかし怪獣に払いのけられ地上に落ちる光太郎。
地上から攻撃するZAT。
光太郎は地蔵にお供えする少女を発見する。
慌てて助けに行こうとする光太郎。
そこへおすぎが現れる。
「危なくないわ。子供はみんなかわいいものよ。この子だって、あの子だって」とおすぎ。
タロウに変身する光太郎。
ぬかるみに足を取られながらも格闘するタロウ。
子供のために嵐を起こして対抗する母怪獣。
「いけませんよ。大人が子供をいじめて泣かせちゃ。ほら母親だって気を揉んでるじゃありませんか」。
戦いを止めようとするおすぎ。
子供怪獣が母を恋しがってるだけだと気づくタロウ。
そして翼に怪我をし、大気や引力に邪魔されて飛べないだけなのだと。
「タロウ、地球に住む者であろうと宇宙に暮らす者であろうと、親と子の愛情、母の愛情に変わりありませんよ」とウルトラの母。
うなづくタロウ。
タロウは子供怪獣の傷めた翼を治してやり、母怪獣の待つ空へと送り返した。
翌朝、何事もなく普通に起きだすおすぎ。
「あら、ZATの皆さん、暑いのにご苦労様です。どうぞ中へ入って」とおすぎ。
「お前、俺がわかるか」と主人。
「嫌あねえ、あなた」とおすぎ。
大喜びする主人。
そこへ光太郎が帰ってきた。
輪になって喜び合うみんな。

解説(建前)

なぜおすぎは怪獣が母を恋しがっているとわかったのか。
科学的に言うと、これは偶然、若しくは直感ということになろう。
おすぎは子供を亡くして以来子供のことばかり考えていた。
それで怪獣の鳴き声が子供の泣き声であると直感したのだろう。
ではおすぎの記憶が戻ったのはなぜか。
これも科学的には怪獣の出現その他のショックによるものであろう。
おすぎはあまりにも激しい出来事に遭遇して、脳が活性化した。
そして寝ている間に色々記憶が繋がったのであろう。
ただ、ZATのことだけ覚えており自分が記憶を無くしていたこと自体は覚えていないようなので、完全に記憶を取り戻したか否かは微妙なところである。

フライングライドロンはどうやって嵐を起こしたのか。
まず雷鳴は声、稲光は体の内部の発火装置を使って火花を起こしたのであろう。
フライングライドロンは口からミサイルを出せることから、体の内部に何らかの発火装置を蔵していることが推測される。
では、雨はどうやって降らせたか。
これも体の内部の蓄えを使っているのであろう。
ライドロンは宇宙空間を移動できるが、ある程度体の乾きは防がないといけない。
そこでラクダのように、体の内部に水を貯蔵していたのであろう。
それを放出して息子が乾かないように、局地的に雨を降らしたものと考えられる。

感想(本音)

宇宙を旅する鳥怪獣親子というのも凄いが、花火に当たって怪我をするというのはさらに凄い。
ウルトラにはこういう悪意のない怪獣が度々登場するが、この話もその系譜に位置する話である。
脚本を担当したのは石堂淑朗氏。
おすぎのオカルトっぽさといい、怪獣を倒さない展開といい、雰囲気的にはバキューモンの話に近いか。
相変わらずの力技な展開は石堂氏らしく、悪意のない怪獣を怪獣側から描いているのはタロウらしさであろう。

本話でまず注目すべきは新しいさおりさんの登場。
子供のころはこの回を見逃していたこともあり、しばらくさおりさんが代わったことに気がつかなかった。
大人の事情で役者が代わるというのは今では当たり前だが、子供にはなかなか理解が難しい。
新しいさおりさんはキャラもかなり変わっており、すんなり受け入れられた子供はおそらく少なかったであろう。
本話では一応これが新しいさおりさんだよ的にフィーチャーされてはいるが、結局はおすぎの濃すぎるキャラに持ってかれておりインパクトは小さい。
まあ、あまりプッシュしすぎると返って不自然さが目立つので、さり気なく新しいさおりさんをアピールできたのは正解だったかもしれないが。

タロウはロケものが多く、今回も信州ロケ。
シェルター、ボルケラー、エンマーゴ、バードン。
序盤からこれだけ旅先で怪獣に遭遇する主人公も珍しいであろう。
この後もパンドラ、ロードラと出先での遭難が続くので、この傾向はタロウの一つの特徴となっている。
御都合主義ではあるが、怪獣出現、ZAT出動というマンネリを避けるという狙いもあったのであろう。
この辺りは一般のドラマ作りの手法をかなり持ち込んでるように思われる。

本話は前述したようにおすぎのインパクトが凄い。
ちょっと子供が見たら引くんじゃないかというくらい不気味な雰囲気を出している。
タロウでは親子というのが重要なテーマになっているが、こういう屈折した形で母性愛を描いたところが本話の特色である。
この辺りはある意味子供向けを逸脱しているであろう。
また前述したように怪獣が乗り移ったかのように怪獣の気持ちを代弁するのはザニカの気持ちを代弁した南條純子に被る。
他にもドラキュラスやフェミゴンなど、石堂氏は女性と怪獣を繋げるのがお好きなようだ。

今回、荒垣はライドロンの攻撃を決断するまでかなり躊躇している。
この辺りの展開もウルトラではおなじみだが、荒垣一人が迷って隊員たちに促されて攻撃を決断というのはちょっとまずい。
副隊長といえども指揮官であるので、村を守るのが先決である。
そもそも荒垣のキャラもそういう風には設定されていないはずであるし、この展開には違和感を感じた。
トータス親子のように人間の被害者ともいえない彼らにあそこまで思い入れするのは首を捻らざるを得ないだろう。
この辺りはどういう意図で脚本が書かれたのか知りたいところである。

北島を脱出させて一人特攻する光太郎。
正直かなり無茶だが、この辺りはタロウらしい展開ということでスルーしよう。
「東大丈夫か?」で片付くところがタロウの新しさである(笑)。
唐突に現れるウルトラの母。
怪獣退治の手伝いではなく怪獣を殺してはいけませんよというアドバイスなので過保護ではないのであるが、頻繁に母が現れるとやはりマザコンの印象が残るのは仕方ないであろう。
このイメージがテンペラー編に繋がってるのは否めない。

本話のテーマは母の愛情。
ライドロンの母、おすぎ、ウルトラの母。
この辺りはタロウの中心テーマなので、テーマ自体は目新しいところはないであろう。
ただ本話の一筋縄でいかないところは、果たしておすぎはどうやって子供を亡くしたことを乗り越えられたのかという点。
最後おすぎは何事もなかったように振舞っており、まるで子供のことを忘れたのではないかと思わせる。
この辺りは解釈が難しいが、おすぎが記憶喪失になったのはおそらく子供への罪悪感が大きい。
それは子供が死んでからも千羽鶴に囲まれて暮らしていたことからも推測されるが、ライドロンの子供が助けられたことにより、自分の罪の意識も少しは償われたのであろう。

ただ、まだ子供を亡くした喪失感は残っているはずである。
その辺りの克服が描かれなかったのは残念であるが、地蔵に石を積む子供を助けたシーンにも代表されるように、おすぎはより広い定義で子供を愛するようになったのではないか。
正直あの少女は脈絡もなく出てきて不思議な存在であるが、特定の個人というより普遍的な記号としての子供と解釈することによりその意義が出てくるであろう。
あるいはあの少女は成仏できなかったおすぎの息子の霊でおすぎの献身により成仏した結果おすぎが正気になったとも解釈できなくはないが、さすがに性別も違うし無理がある。
それよりもっと普遍的な存在。
成仏できなかった子供全体を代表する存在として解釈するほうがふさわしいであろう。

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